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連載エッセイ●35
全種目ユニフォーム着用禁止!?

 まことに大きなお世話だが、北京オリンピックが気に入らない。気に入らないというより心配でならない。次々と湧き上がってくるあれもこれもの疑問の粒を、ぽんと爆発させて、ぎゅっと固めた「ぽん菓子」のようで、どこからどう見ても心配の塊に見える。
 アメリカとロシアの関係が心配だった頃には、かくもあっさりボイコットしちゃったくせに(モスクワオリンピックのボイコットおぼえていますかあ? 槙子の兄はあの時、五輪行きを逃したので、とくに印象深いです)、今回の北京で最も危険にさらされるのは選手そのもの。公害都市の真ん中でマラソン? あの国の建築物って本当に大丈夫? 食べ物は安全? プールの水はきれい? テロ対策は? 伝染病は? 国内での民族をめぐる紛争はどうなったの?
 オリンピックに出るために、選手は純粋に頑張って力の限りを尽くしていることに、昔も今も変わりない。と思っていたのだが、あの水着問題の勃発で、私のスポーツ不審は決定的になってしまったのだった。結局、メーカー代理のアスリートってわけね? 「泳ぐのは俺だ」と、本当に心から私は思ってるんだけどね。人間の肉体の限界を純粋に追い求めるところに「神技」が発揮され、それを見たくてスポーツを見るのが大好きだったのに、とすっかりしらけてしまった。水泳着ばかりでなく、着るだけでタイムが良くなるマラソンスーツや飛距離の出るゴルフ着、ジャンプ力の良くなるパンツなど、ガンガン開発されてるそうで、がっくりガッカリの連続である。純粋だと信じていたスポーツすべてそうならば、いっそ競馬を見る方が面白いかも。馬は裸だし。
 さる会合で「全種目ユニフォーム着用禁止」という案を出したところ、「そんな背泳は見たくない」と瞬く間に却下された。人類はもう純粋に肉体の美しさを求めてなんていないのだ。スポーツすらお金になればそれでいい。メタボ全盛もうなずけるというものだ。

 さすがにカレーの世界からは中華な世界は縁遠いとお思いだろうが、カレーあんかけ中華おこげという商品を食べた。懐の深さ広さでカレーと中華は両巨頭だといえるだろう。しかしねえ? 中華なカレーか、カレーな中華か。やれば出来ないことなどない。制作したのはわが国ニッポン。人類が勝手に引いた国境ごとに異国扱いされてはいるが、地球はひとつだと改めて思い知る。ガウナンカレーや上海カレー、中華なカレーを食べながら、世界の民族問題に思いをはせる。そして、なるほど。頭で思うほど上手くいかないものだとも思う。



写真:裸で生まれて裸で死ぬ。虫も人も同じ命だ、なんて思う。――by 大久保謡子(おおくぼ・ようこ)

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連載エッセイ●34
貼り紙せよ! の奨め

 連日、おのれの目や耳や頭まで疑いたくなるニュースばかりの今日この頃です。社会が悪い、親が悪い、学校が悪い、あれも悪いこれも悪い、貧乏が悪い、裕福が悪い、孤独が悪い、過保護が悪い、前世が悪い、夢見が悪いetc。どうにもこうにも、全体的に責任転嫁体質とでもいえるような、とにかく誰かがなんだか悪い、らしい。

「世の中が面白くないからと他人を殺してはいけません」と教えなかった学校が悪い、「切り刻んだ人間を流してはいけません」と貼り紙していなかったトイレが悪い、「生意気な妹をバラバラにしてはいけません」と教えなかった親が悪い、「マンションでは隣人を殺さないで下さい」と契約時に約束しなかった不動産屋が悪い、「ホームから人を突き落とす目的で入場してはいけません」と切符を売るとき注意しなかった駅員が悪い、「いかなるときにも酒瓶で殴り殺したりしないと誓うか」と挙式時に誓約させなかった牧師が悪い、「歩行者天国に突入する目的では貸せません」と確認しなかったレンタカー屋が悪い、止めてくれなかったお前らが悪い、という理屈が堂々とまかり通る今、されたら困ることを徹底的に書き出して貼り紙することくらいしか防衛策はない、と思う。
 秋葉原では歩行者天国が早々となくなったそうだが、そんなことより何よりも、「無差別殺人禁止」の貼り紙で、まず「禁止」が、いの一番に大事です。指示待ち症候群といわれる「言われたことしかしない」子たちが、言われなかったことを自らしようと目覚めた時、なんだかとんでもなく変な事を思い切ってやっちゃうからね。「ダメだよ」と言っておけば、言われたとおりやらない子たちもいる(かもしれない)。いずれの事件も犯人だけが悪いと言いきれないと思えば、親も教師も牧師も坊主も政治家もマスコミも、それぞれの立場で一人一人が反省したり、関係ないと切捨てないで、自分も一因かもねと思うこと。すれば、びっくりニュースにも反面教師的価値が出る。

 秋葉原で大人気のおでんカレーを食べました。パッケージはピンク色。「召し上がれお兄ちゃん」とメイドさんの絵が描いてあります。そう言われてみれば、おでんをカレーに入れてはいけません、という貼り紙は見たことないし、いいんだおでんがカレーでも。もちろん、私にだって文句はないです。だけど、見た目はカレーっぽいルーなのだが、味がものすごくおでんであって、口にした全員が、ぶははと笑って言葉を失う程の変な物でした。とだけは言っておきます。


左槙子(ひだり・まきこ):どこにでもいる普通の主婦。数人の子供と一人の夫。そのほか数え切れない動物達と暮らしている……らしい。

写真:猫がどかないから原稿が書けない。と、槙子が言うのを何度か聞いたことがある。責任転嫁のお手本的発言である。――by 大久保謡子(おおくぼ・ようこ)

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連載エッセイ●33
営業疑惑

 新学期の子供たちには身体測定や健康診断が無料で有り、誠にありがたい事ではあるが、なんだかどうも腑に落ちない。歯科、眼科、耳鼻科と三人の子供がそれぞれあちこちなんだかんだと、病院にかかって下さいという書類を持って来る。
 娘が持ち帰った眼科検診の結果、内反症と診断されて、内反症って何? 手元の国語辞書で調べると、内反症は載ってないが、内反足=足が内側に変形した云々とある。とすると、目が内側に曲がっている? ええっ? すわ一大事と眼科に連れて行ったところ「さかさまつげですね、このまま様子見てください」だとぉ? 処置なし、目薬が処方され、1980円。ふんだくられた気持ちでいっぱいである。
 息子が持ち帰った耳鼻科に行って下さいの診断結果を手に、耳鼻科で1時間待って診断5秒「耳垢ですね」処置3秒で1980円。
 娘二人が持ち帰った歯科検診の結果を持って、歯科で2時間半「乳歯の虫歯は様子見」ハミガキ指導で1人1980円。完全にぼったくりだ。そのうえ「虫歯より噛み合わせの方が問題です。矯正しませんか?」。おのれ、我が家が国内有数の金持ちで、今月は人もうらやむ多額ボーナス月なの知って言っているのだな?「はぁそうですねえ、女優になるかもしれないですからね、考えときます」とお返事したら、それ以上のセールスを控えられた。慇懃無礼な歯科医だ。  全くどいつもこいつもぐるだなぁっ! だいたい学校に診察に来るお医者さんも普段は開業の先生なのだから完全に組織化された営業活動? 本当に医者に行った方がいいか様子見なのか、判ってるはずですよね? な〜んだかなあ。毎年まんまと引っ掛かってるんだ。騙されやすいお人よしなのです私。

 レトルトカレーもどれだけ手間隙かけてるか、高級材料使ってるか、それはそれなりなのだろうが、ぼったくりかなあ? と思えてしまう高級カレーをたくさん食べた。一方で高価なりに美味くて満足なものもたくさん食べた。だけどやっぱり、美味くて安い、ええっ? これで100えん? とかいうのに出会うと一番うれしい。
 こっそり教えよう。箱もはぶいた、レトルト袋のまま売られているニチレイのカレーは、どれもおいしかった。どこかの酒屋系のスーパーで購入した知人からの頂き物で、私自身は売り場で見かけたことがないので幻のカレーとあがめている。レストラン用と書いてあるから、食堂などで提供されているのだろう。きっとその食堂の人気メニューだろうと想像している。


左槙子(ひだり・まきこ):どこにでもいる普通の主婦。数人の子供と一人の夫。そのほか数え切れない動物達と暮らしている……らしい。

写真:あまりのぼったくられに目の玉飛び出しましてございますの図。――by 大久保謡子(おおくぼ・ようこ)

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連載エッセイ●32
わがまま税
 横断歩道を渡る人並みを真横に横切り、あつかましくも悠々と、好き勝手な方向へ走り去る自転車乗りを最近良く見かける。分別のついていない若者ではなく、分別盛りの年配であったり、サイクリングの装備をきっちり固めヘルメット姿も颯爽と決めた青年だったりで、横断歩道を渡りながら自転車にひっかけられそうになるなんて、無防備な歩行者としては開いた口がふさがらない。
 そんな走行は、みんなの迷惑だし、とっても危ない。何と言っても、人様の目前を挨拶もなしに横切るとは、無礼な行為で許せない。歩行者と同じ方向を向いて行くのでも、人ごみでは自転車から降りて歩くのがマナーではないのだろうか? 迷惑駐輪に加え、人ごみでの自転車乗り達のマナーの無さに世も末感(世も末だなと絶望する感覚*槙子造語)も強まって、無礼で危険な自転車乗りは逮捕されりゃいいのに、と願う。
 自転車乗りのマナーが悪化し、規則で規制しなければならなくなれば、取締りの警官が増えることになり、規則を教えなおす教習所とかも必要になり、いろいろあれこれ、つまりは税金がかかる事となり、税金が引き上げられる。
 自転車乗りのマナーの悪さを例に取ったが、世の中全般、わがまま・自己中心・傍若無人・どこでも居間・自分の世界etc、多すぎるなあと思う。特に決め事としていなくても、相手をおもんばかって、それぞれみんな生きてるのが社会だろう。「ちょっと譲る」や「お先にどうぞ」という、ちょっとしたマナーが守られずルールに変わるとき、税金が増えると思ってみてはどうだろう?
 自転車乗りのマナーの悪さはもうじき法で規制されることになり、自転車税の導入は必須だろうと思っている。歩行者もあまりにわがままが過る今のまま増長し続けた末の世には、「歩行者税」「わがまま税」の導入もありだよなあと憂いている。

 レトルトカレーの世界でも、カレーだけでは物足りずオムレツ付やらハンバーグ入りやらを要求するわがままなお客さんにこたえるべくサービスを尽くしたカレーが多々ある。「ダダこねバーグわがままカレー」という長い名前のカレーを食べた。ズバリ、カレーもハンバーグもというお客さんに、「わがまま」と言い放つとは勇気がある。その心意気には感動したが、残念なことに、お味のほうはハンバーグもカレーもイマイチだった。おしい。
 というように、せっかくのカレーにイマイチだなどとわがままな感想を言う私も、わがまま税の徴収対象となる日が近いのかもしれない。

左槙子(ひだり・まきこ):どこにでもいる普通の主婦。数人の子供と一人の夫。そのほか数え切れない動物達と暮らしている……らしい。

写真:何もかも100円でと、わがままなお客様ばかりの100円ショップでは、老眼鏡まで手に入る。庶民のわがままは留まる所を知らない。――by 大久保謡子(おおくぼ・ようこ)

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連載エッセイ●31
カラスの勝手
 家の前の路地の北の端と南の端に、ゴミ集積所がある。南北の集積所には、ご近所のご老人がひとりずつ、ゴミを猫やカラスに荒らされないように、いつも気を配ってくださっていた。
 2箇所の集積所をカラスが荒す頻度はかなりのもので、それこそ毎日のようにゴミの棚から生ゴミ入りの袋を引きずり出してはめちゃくちゃに散らかす。ゴミ置き場のすぐ前に住む私も、散らかされたゴミを見れば知らん顔もできなくて、他人様の生ゴミを掃き集め、袋につめなおしては棚に戻す作業をしたことがあるが、それは臭いし、汚いし、たいへんなことで、食べ残しを捨てないように暮らすことを心がけたり、残飯の捨て方は厳重にするとか、自分ちのゴミをカラスに散らかされないよう各々少し気を配ってくれればと、恨みがましく思ったりしながら過ごしていた。
 たまに見かけたときにしか片付けた事のない私でもそんな気持ちになるのだから、毎日箒を振り上げカラスを追い払っておられたご老人の心中はいかばかりだったか。そのお二人がほぼ同時期に体調を崩され、見張り続けていただいたゴミ置き場は急に無人になった。
 カラスの天下がやってきた(と誰もが思ったに違いない)。そこで、毎日暇で暇でしょうがない専業主婦である私が「カラス番二代目」の名乗りを上げねばなるまいか、と腹をくくりかけた。が、ご老人お二人がご健在でカラス追いをしてくださっていた頃にはあれほどにぎやかだったゴミ置き場から、一斉にカラスも消えた。不思議でならない。人々のゴミの出し方は相変わらずなのに、カラスに荒される事は無くなり、収集車の来る夕方まで安心して過ごせる当たり前の日々を、現在私達は過ごしている。カラスとご老人達との間にあったのは、傍目には敵対関係に見えても、実は友情だったのか? いずれにしても、カラスに散らかされることの無くなったゴミ置き場は、理由はなんであれ、うれしい。


 みんなが大好きなレトルトカレー。おいしければうれしいし、おいしくなければうれしくない。全部おいしければ悩みなんて無いのに、なんだかさっぱりわからないカレーがたくさんある。飛びぬけてわからなかったのがさくらんぼカレー。さくらんぼとカレーは傍目には無関係に見えても、実は互いに求め合うものだったのか?
 カレーは黄色いと思い込んでいた私の狭い見解を、ピンクのさくらんぼカレーはあざ笑うかのように裏切って、おいしいのかおいしくないのか、カレーなのか何なのか? いまだに謎である。

左槙子(ひだり・まきこ):どこにでもいる普通の主婦。数人の子供と一人の夫。そのほか数え切れない動物達と暮らしている……らしい。

写真:カラス天狗が住むという高尾山の木。木は歩かないという見解を裏切り、「これは歩く」と思われる。――by 大久保謡子(おおくぼ・ようこ)

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連載エッセイ●30
らしさについて
 駅前のスーパーへ買い物に行く歩いて10分くらいの時間には、夕飯の献立についてとか野菜の値段について考えていればよかったのだが、この日は「坊主頭」について考えていた。
 一昔前は坊主頭の不良なんていなかった。不良やヤクザにはそれらしい髪型があり、たいへんわかりやすかった(ような気がする。しませんか?)。それがなんだかこの頃はたいへんにわかりにくい。不良だかスポーツ少年だか、ヤクザだか坊主だか不動産屋だか、チーママだかヤンママだか、ロリコンだか教師だか、看護師だかコスプレだか、キャバクラだか保育士だか区別がつかない。ヤクザに仁義がなくなり、不良につっぱりがなくなり、母親に母性、父親に父性、教師に教養、坊主に徳、医者に良心……それぞれらしさを失って、ひとごみで前から歩いてくる人がいったい何者だかさっぱりわからない。
 と、まあ、そんなこと考えながらついたスーパーで、私も主婦らしさをすっかり無くしていたには違いないのだが、「こんにちは」と近所の奥さんから声をかけられて我に返り「あら、お買い物?」と間抜けな返答をする私に、スーパーの制服の胸を張り「働いてるのよ。生活の為に一生懸命なの。私のお給料になるんだからいっぱい買ってね」って、売り場で店員が客に言うセリフだろうか? 返す言葉も見つからず支離滅裂なままレジを済ませ、肝心の緑茶を買い忘れていることに気がつくが、買いなおしに戻る気も失せたまま名店で馬鹿高い高級茶を購入する羽目となった。
 店員からプロ意識が失われ、主婦から損得勘定がなくなって、いよいよ出鱈目が王道を行く時代になったと、つくづく思う。


 レトルトカレーもいろいろ食べたが、中には出鱈目な物もいっぱいあり、日本のカレーのストライクゾーンの広さには目を見張るばかりだ。
 先日、缶詰のカレーうどんを食べた。秋葉原で人気だというそれは、恐ろしく不味いものだった。うどんが小麦粉ではなく、こんにゃく麺となった時、それでも「うどんである」というこのあつかましさは、どこから湧いて来るのだろう? そして、ここまでうどん離れしたカレーうどん缶を、うどんであると思って食べても怒らずにニコニコしている私たちお客さんの心の守備範囲は、海より深く山より高い。誰から何をされても、いつも静かに笑っている。この国の国民らしさは未だしっかり健在なのだな。カレーうどん缶に「なんじゃこりゃ」と驚いて、結局ニコニコ笑っている私は、日本人らしい……らしい。

左槙子(ひだり・まきこ):どこにでもいる普通の主婦。数人の子供と一人の夫。そのほか数え切れない動物達と暮らしている……らしい。

写真:ダイコンもらしさを失い、ついには真っ赤になった。なんじゃこりゃ? と驚愕し、ニコニコ美味しくいただくのだ。――by 大久保謡子(おおくぼ・ようこ)

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連載エッセイ●29
弁当考
 春休みや夏休みの長い休みになると、学校給食のありがたさが身にしみる。子供が幼稚園に通っていた7年の間、弁当を毎日作り持たせた。
 学校給食のおかげで弁当作りから開放されたのも束の間、中学進学と共に毎日弁当の日々がまた始まった。幼稚園生の小さい弁当箱にワンパターンのおかず、毎日同じでも一度も文句を言われたことなどなかったので、それでいいんだと思っていたら、「どうせ家は……」みたいな声が聞こえてきた。幼稚園時代の弁当になにか不満でもあったのだろうか?
 改めて尋ねると「タコさんウインナー入れてくれないし」。あ然である。「タコウインナー入れて欲しかったの?」と驚く私に、息子は黙ってうなずいている。確かにタコウインナーもカニウインナーも一度も作ったこと無いし、流行のデコ弁的なことも、目に美しい冷凍食品も使わなかった。
 何年も気づかず申し訳なかったと、初めてタコウインナーを作ってみた。8本の足をちぎれないように丸く広げて焼き上げるには技術を要するが、かさばる形の出来上がりは、中学生の大きな弁当箱には都合がよいことがわかった。これを機に冷凍食品売り場も覗けば安価で色とりどり、レンジで揚げ物が1つだけできるというのはなるほど便利かもと、弁当のおかずに取り入れた。これが大好評で、毎日「おいしかったよ」と褒められるのだが、なぜか心は傷ついた。部活で早朝に出て行く息子の弁当が冷凍食品だらけだと罪悪感までわいて来て「ごめんね」と持たせれば、「グラタン最高!」とか喜ばれて、密かにへこむ日々が続いた。
 ま、そんなことには負けておけば良いのかもしれないが、見かけによらず負けず嫌いな私なのだ。出来合いの均一な味に飽きの来る頃を見計らい、しょうが焼き等の手作りおかずを増やして行き、「やっぱ手作り美味いなあ」と言わせちゃったもんね、やったあ。


 息子のクラスでは三段式のジャー弁当箱でカレーを持って来る人もいるそうで、さすがカレーの国ニッポンの弁当です。あっぱれです。我が家では意外やいまだ弁当にカレーを持たせたことは無いのだが、スーパーのカレー売り場で「ちょい食べカレー」という商品を見つけ、購入した。30グラムという、ちょこっとした量のカレーが4袋入っていた。早速子供の弁当にふりかけ代わりに持たせたら、案の定たいへん好評だった。レトルトカレーとは言いがたいが、新し物好きな私も早速試してみると、確かにカレーっぽくてカレーといえばカレーだが、実に不思議な物だった。

左槙子(ひだり・まきこ):どこにでもいる普通の主婦。数人の子供と一人の夫。そのほか数え切れない動物達と暮らしている……らしい。

写真:蛸といわれりゃタコである。西洋で生まれたウインナソーセージ、まさか日本でタコにされるとは思いも寄らぬことだろう。合掌。――by 大久保謡子(おおくぼ・ようこ)

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連載エッセイ●28
なぐさめ係
 三人の子供がそれぞれのクラスから持ち帰るお知らせ類にじっくり目通ししている余裕がないことは先にも書いたが、懇談会の日付もうろ覚えで気がついたら終わっていたり、子供から「今日は懇談会だったらしくて、ちゃんと言わなくてごめんなさい」などと困った顔で謝られたりして、返す言葉も立つ瀬もない。
 それほどにいい加減な保護者なのだから、「あんたから言われたくない」とお叱りをうけるやもしれないが、クラスの様子を知らせる学級通信の係活動への取り組み「…おたすけ係、なぐさめ係が、転んだ子供に走り寄ってはなぐさめる様子がほほえましい…」を読んで、ぎょぎょっとした。
 これはたいへんな時代がついにやって来てしまった。困っている人を助けたり、泣いている人を慰めたりを係の活動として行うとなれば、それは係の仕事として「自分は係ではないし」とか「係でもないくせに、でしゃばりが私の仕事を取った」などの揉め事がおこるだろう。
 この子達が大きくなって社会の働き手となる頃には、弱者をいたわり慰めるのは係の仕事という意識があたりまえとなり、おたすけ庁やなぐさめ省によるお役人仕事として、人々は慰めの言葉を役所からもらうために書類審査をうけ、早くて2週間ほどで電話連絡の後、係の者がお宅をご訪問いたします、なんて嫌だなあと天を仰いで暗い気持ちになってしまった。
 この文を書くにあたって、係活動のその後を娘に尋ねると、お助け係は先生の手助けをする係、なぐさめ係は無くなったとのことで、心からほっとした。「係の私がなぐさめてるんだから、口出さないで」と喧嘩の仲直りに係が介入し、話がややこしくなるという問題が頻発した……らしい。大人社会でも警察は民事に介入しないのと同じだ。結果、いい学びができました、と報告されているのであろうが。親としては疑問符がいくつも残ってるんだ、いまだにね。


 レトルトカレーは何も無くて困ったときのおたすけ食だ。ご飯があればそれだけで食事になる。このごろはご飯付のカレーも多く出回っており、これがどれもおいしいので、ご飯すらないときにはとてもありがたい。特に長米とタイカレーなどは、両方のよいところが存分に味わえてうれしい。
 レトルトタイカレーのために長米を炊いた事は無いが、長米とタイカレーの組み合わせが抜群なのはいうまでもない。レンジでチンして、その組み合わせを味わえるなんて、便利な世の中に生きているなと各方面に感謝の気持ちでいっぱいになる。

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写真:いけばなの柳から新芽が出た。黙って示される生命の力に、なぐさめられることは多い。――by 大久保謡子(おおくぼ・ようこ)

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連載エッセイ●27
公平について
 小学5年生の娘の身体測定記録表を見ていたら、見覚えのある数値に目が止まった。146センチ35キログラム。娘はクラスで特に大きくも小さくも太っているほうでもない。標準的に明るく楽しい小学生であるが、これと同じ身長体重で20代だった私は、当時けっこういろいろな意味でつらかった。文字通り、今ほど太くなく、吹く風とすらも日々戦い、完璧にいっちょまえのつもりだったが、娘の体つきからあの頃の私を思うと、我ながらなんと生意気なバケモノだったことよと、思い出すだに暗くなる。幸い、あの頃に比べたら体重も神経の太さも相当に増量し、当時の知り合いに道であっても気づかれることも無いと思うので、安心して町も歩ける。
 それにしても、小学生より小柄な私なのに、電車やバスの料金をどうして彼らの倍額とられるのか。ここ数十年その不公平を嘆いている。飛行機の料金となると、もっと納得いかない。あの巨体アメリカ人と小学生より小さい私がどうして同額なのだろう? あの巨体アメリカ人と、この小柄な私の荷物がちょっと重いのと、どちらを見咎めるべきかわかんないんだろうか飛行機会社。アメリカで乗った小型機の、私を除く全員が巨大なアメリカ人だったとき、「この機は重くて飛べないんじゃない?」と心配しながら、まんまと気流が乱れたときの恐怖は、とても言葉では表現しきれない。まるで疑心暗鬼を絵に描いたような、それは壮大な恐怖だった。
 かくのごとく、不公平とは人の心を疑り深く波立たせ、全くろくなものではない。だからといって、私はいまでも私をお子様扱いしてほしいとか強く希望しているわけではなく、年齢で区切るべきものと大きさで測るべきものと、あるんじゃないの? と思うのだ。薬の量とか、コニシキと私は同量でいいの?


 レトルトカレーのお子様カレーは、カレーみたいな何物かであって、味はほとんどカレーではない。親達が美味しいカレーを食べるとき、同じようにカレーを食べたいが、親と同じ辛いカレーは食べられない子供のためのカレーみたいに見える、なんだかよくわからない食べ物、ちょっとカレーっぽい感じの味。公平の為に生み出された、カレーによく似た物。飲み物でも、子供ビールなど、ビールによく似たビールで無い物がある。その場の公平感のために、子供には偽物を与えて、平和に暮らすのは容易だが、「大人になったらな」ってきっぱり線引きもかっこいいな。子供からみた「おとなばっかり」という不公平感は、いいんじゃない? なんて思う。

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写真:アボガドを2つ購入し、タネの大きさがこれだけ違うと、おおらかな私も不公平だとブーたれたくなる。――by 大久保謡子(おおくぼ・ようこ)

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連載エッセイ●26
省エネ考
 読みたくて手に入れて、読み始めて読みきれなかったり、読み始めるまでも行かずに積んである、本に囲まれて暮らしている。自分の書き散らした文章をよく読みなおしもしないで、その書き間違いにも気づかずに、のほほんと暮らしているくらいなので、子供達が学校から持ち帰るたくさんのプリント類を熟読している余裕はとても無い。よほどの事がなければ、テストの答案をみせられても「あっそう」くらいの事しか言えない。
 息子の友人は、一科目につき一時間ほどの説教をされるので、親に答案を見せる日を嘘をつきつつ先延ばしにしているという。「家じゃ、『は〜い、次はがんばりなぁ』、だもんなぁ。説教なんて考えられない」と言う息子に、「もし、彼の家庭がうらやましいなら、説教くらいしてやれないこともないが」ともちかけたら、「それにはおよばぬ」と断られた。かまってやれなくて本当に申し訳ないと思う。
 他人ごとながら、テストの結果をネタに1時間の説教が出来るエネルギーとはどれ程のものか、一度体験してみたい。見学希望欲求でむらむらする。どの科目がどのくらいの点数で、それは始まるのだろう? 興に乗れば暴力も有りなのだろうか? そして盛り上がった説教は、どこへどんな角度で着地し、芽を出し根をはり、次に咲く花の準備をするのだろう? 結果に対して延々とたれる1時間の説教に値するエネルギーを、テスト前の勉強をするように仕向ける事へと変換できないだろうか。もし、そっちもやってるのに、その結果だから説教が出るのなら、全体を見直す必要があるのだろう。エネルギーの使い様を効率良くと見直すことは、地球にも子供にも大切なことだと、私は思う。


 レトルトカレーも省エネに着目してか(ちがうか?)、低カロリーを売りにしているカレーを見かけるようになってきた。これらはなるほど、さっぱりして軽い。しかし、別にダイエットを考えてない人が食べた場合、なんだか物足りなくて、トンカツやクリームコロッケなど、こってりした副菜を添えたくなる。結果、お財布的にもカロリー的にも結構オーバーな物となる。ま、こういう文句は全く「お客様の自己責任」なのだね、という具合に自分で突っ込みをいれてしまうと、何が言いたかったか解らなくなる。
 だいたい、元々カロリーオーバーなんてインドだったらないはずなのに、日本でたっぷりの油や、肉や、砂糖やらでカロリー増やして、で? またカロリー減を試みる。省エネで地球全体足並みそろえるって、口で言うほど簡単じゃないと、カレー食べながら思ったりした。

左槙子(ひだり・まきこ):どこにでもいる普通の主婦。数人の子供と一人の夫。そのほか数え切れない動物達と暮らしている……らしい。

写真:桜咲く。桜自身の咲くための知恵と、桜咲けよという人の心や愛情をたくさん吸い上げて、毎年みごとに咲くのだろう。――by 大久保謡子(おおくぼ・ようこ)

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連載エッセイ●25
免許について
 だいたい自転車にも乗らない私なのだから、自動車の運転をしたいと思うことも無い。歩くのでさえ、人がたくさんいるとルールに沿って歩けなくてドキドキする。
 普段は歩く事のほかに、いろいろな考えに集中しており、その影響で急に立ち止まったり、曲がったり、ジグザグやスキップ、鼻歌に独り言と、均一な歩幅でまっすぐに歩いている事なんてめったにない。
 そんなはた迷惑な歩き方の私から四の五の言われたくないかもしれないが、歩きながら運転手をみていると、意外とよく見えるもので、その表情から、怒ってる人、笑ってる人、しゃべっている人、歌っている人、携帯で話してる人、メールしてる人、ハンドルに雑誌広げて読んでる人、弁当食べてる人、そりゃもうなんでもありなのには本当に驚かされる。特に携帯電話中の人の目は、必ず何処も見ていない。あんなになんでもやり放題ならば、免許なんてあっても無くても同じじゃないか?
 ダンプカーなら、人や自転車とぶつかっても自分は大丈夫にちがい無く、なんでもありもうなずける。そこで一つ、ダンプカーの運転席を地上近くまで降ろし、作りもぺこぺこのトタン張りにしたら、少しは横柄な運転も少なくなるのではなかろうか?
 自転車の前にも後ろにも子供を積み込んで、ぶりぶり怒りながら早く早くと行くママは、小さい子供とゆっくり歩くゆとりや楽しさ忘れてませんか? 大人にはつまらない道草も子供には大切な体験だし、手をつないで歩く時期なんて本当に短い。それに、子供は荷物じゃないし。命と引きかえてまで自転車に乗って急ぐ用事とは何だろう? また、お年寄の自転車が目の前で転倒するのを何度も見かけて、もし自動車が脇を通れば大事故だ。乗らなきゃいいのにと心から思う。


 運転しながらあれもこれもと欲張りな人が多い日本では、カレーにまつわるあれもこれもな食べ物がたくさんある。
 イカチョコカレー(サキイカにカレー味のチョコをコーティングしてある)・牛乳カレーラーメン(ラーメンスープが牛乳カレー味)・カレー醤油(カレー味の醤油)・カレードレッシング(カレー味のドレッシング)・カレーカシューナッツ・カレーせんべい・カレーうどん・カレー納豆(たれがカレー味)・カレーソフトクリーム・カレーラムネ・カレーかき氷シロップ・カレーカステラ・カレーマドレーヌ。
 どうです? そろそろうんざりですか? 極めつけは、カレー練り消し(カレーの香りの練り消しゴム、食用ではありません)。授業中にカレーの香り、いかがでしょう。

左槙子(ひだり・まきこ):どこにでもいる普通の主婦。数人の子供と一人の夫。そのほか数え切れない動物達と暮らしている……らしい。

写真:カレー練り消しの実物映像。香りは間違いなくカレーなのです。よく消えるとかは問題でない、らしい。――by 大久保謡子(おおくぼ・ようこ)

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連載エッセイ●24
虚像(巨象)について
 だいたいすべてにおいてこんな私なので、試験の前日に、
「浸透圧について、ぜんぜんわかんないんだ」
 などと告白されても、一緒に泣くくらいのことしか出来ない。
「今日になってそんなことジタバタするくらいなら、いっそ気持ちを切り替えて、早く寝るのが得策だよ」
 と、ありうべからざる指示をして、先に寝てしまったりする。それでいて、そんなこんなの結果通りに点数が悪ければ、不機嫌な顔を見せたりもする。実に困った私であるのは自覚している。全世界中の子供が指摘するとおり、大人は自分の事は棚にあげ、子供にばかり無理難題をおしつける。
 さる会合の余談の時間に、
「子供の徹夜勉強につきあっちゃいました」
 という父親の発言に、ぶったまげたのは私一人で、
「あなたもですか、私もよ」とか、「まあ、ご立派」等、賛辞な意見がその場をべっとり支配して、むっと息が詰まったまま危うく窒息死しかけたことがある。徹夜で子供に付き添っているのは小学生の親で、変でしょう? それは、虐待をカムフラージュした自己愛の、お前の為とは口先だけの、欺瞞に満ちた金色の、めくるめく体罰でしょう? 万歩譲っても、愛でない事だけは確かだ。と、そのオヤジの顔を張り倒し、警察に突き出してやりたかったが、どうせ警察は民事には介入しないだろうと思って止めた。


 ま、“レンズ”を勉強中の子に、「その結ぶ像をな、巨象と書けばうけるぞ、書け」とか、XやYを使って一人分の映画鑑賞料金を導き出そうともがく子に、「料金は窓口で聞くのが人間社会のルールのはずだ」とかばっかり言っている私も、親としてのろくでもなさは目糞鼻糞であるのだろうが、幸い我が家には、そんな私の暴走・暴言にさるぐつわをかませる辣腕の常識圏内の騎士的夫が一人いて、家庭は社会から逸脱もせず、運行されている。
 欺瞞あふれる世の中で、あちこちお詫びだらけである。カレー界にもそろそろ大きなお詫びが出る頃では? と楽しみにしている私であるが、ここまで加工品だと、偽も煮詰めれば真と成ってたりしてなあ。元来混沌とした食べ物なのだ。
 レトルトカレーばかりでなく、カレー味の○○というものが市場にあふれていて楽しい。「根室のまごころ・さんまカレー煮」という缶詰を食べた。缶詰のさんまは醤油味ときめてかかってはいけないのだ。ところが頭の固いわが子達は「カレー味が余計だ」とブーたれた。私はいけると思ったのに。この子達の頭の固さ、一体誰のせいなんだ? 頭が痛い。

左槙子(ひだり・まきこ):どこにでもいる普通の主婦。数人の子供と一人の夫。そのほか数え切れない動物達と暮らしている……らしい。

写真:これは柿の種の虚像である。では真なる柿の種とは一体どこにあるのだろうか。――by 大久保謡子(おおくぼ・ようこ)

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連載エッセイ●23
思い込みの賜物
 多かれ少なかれ世の中は、たくさんの人々のそれぞれ勝手な勘違いとか思い込みから成り立っているのではあるまいか。娘が幼かった頃、私の実家に一人でお泊りして帰宅したときのこと、大きな目をキラキラと輝かせ「おかあさん、あのね、おばあちゃん、足の指あったよ、ちゃんと5本あったのよ」と言う。何の話かわからない「お風呂に一緒に入ったら、指、全部あったのよ」と大発見らしいのだが、母の足指はもともと5本ずつあったはず。よくよく聞けば、年中和服の足袋の足しか見たことがなかった娘は、その日まで「おばあちゃんは2本指」と思い込んでおり、お風呂で裸足を見てはじめてそっくりそろった足指に子供心にもほっとしたというわけで、無垢な者の思い込みは時には美しく、家族にとって忘れがたい宝物になったりする。
 一方、無知なる物の思い違いもまた、生涯にわたる笑いの宝物であったりする。私は25歳までデリバリーとは出張を「出り・張り」と気取って読んだ日本語だと思っていた。これで会社員が務まっていたのだから、会社員なんてちょろいものである(ま、良い機会ですので、この場をお借りして当時の会社の皆様、こんな槙子で本当にどうもすみませんでした)。そんなこんなで、個人的勘違いをあげただけで もきりのない、それぞれが縦糸横糸に勘違いを織り重ね、地域的、国家的、地球的勘違いとなって累々と人類は歴史を積み重ねてきているのだな、と、崇高なる悟りに至ってしまったりする。さ程に勘違いとはたいしたものだと槙子は思う。


 我が愛すべきレトルトカレーも大いなる勘違いの産物で、それらを食べつくそうだなどと試 みているカレーの会とは、輪をかけた壮大な阿呆である。ブラボーと喝采のうちにとっとと止めときゃよかったのに更なる勘違いが雪だるまとなり、800食を食べ超えてしまった今、もうどおにも止まらない。押し寄せてくるレトルトカレーと延々と対話する、寝てもさめても、カレー袋は少しも減らない。80歳になっても、800歳になっても……ある日目覚めたら、カレーの会なんてやったことない私だったら、いっそ幸せかもしれない。
 食べてるだけの私にすらもこれほどの苦悩をもたらすとはなんとも御しがたき偉大なるレトルトカレー群なのだから、製作者の苦悩たるやさぞやとおもんばかられる「夢で見たカレー」というカレーを食べた。このカ レーが製作者の方の夢に出た……らしい。凄い話だ。感嘆せずにはおられない。

左槙子(ひだり・まきこ):どこにでもいる普通の主婦。数人の子供と一人の夫。そのほか数え切れない動物達と暮らしている……らしい。

写真:槙子の足袋靴下コレクションの一部。いつか母のように誰かをたぶらかすべく槙子も足袋愛好者らしい。――by 大久保謡子(おおくぼ・ようこ)

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連載エッセイ●22
僅差比べ
 2泊3日の林間学校から子どもが帰宅する日の夕方、町内を歩いていたら子供の同級生の母親達から「何してるの? 学校行かないの?」と声をかけられた。学校? 何しにいくんだろう。さっぱりわからないまま、家で子供の帰宅を待った。
 家に着くまでが遠足である。2泊3日にしては大げさなバスタオルだの替えの靴まで詰め込んだリュックは、小学生には大きくて見るからに重たそうだが、それを担いで行って、ちゃんと家まで帰ってくる。そこら辺りに林間学校の意味はあるのだと思っている。ところがだ、聞いて驚いた。バスの到着地にはあまたの親が出迎えに立ち、重いリュックを肩代わりして各々家路についたそうで、うぴぴぴ……あきれて脳が壊れた音までしてきた。
 この子達が幼稚園のときの1泊おとまり保育の見送り時、バスが見えなくなるまで手を振って涙する人や、帰ってきたわが子を見て号泣する夫妻など、他人事ながら、ゆく先に漠然とした不安を感じたものだったが、あれから6年やっぱりな、というか、あのままなんだこの人たちはと思うと、なんだかぞくっと寒気が走る。中学の入学説明会で「準備品は先走って買わずに、鉛筆や消しゴム等くらいにしておいてください」とおっしゃった先生に、挙手してマイクを握り「先ほど鉛筆とおっしゃいましたが、シャーペンは?」大喜利なら座布団もらえそうな(取られそうなかぁ?)質問が大真面目にどしどし出る。親の馬鹿化はとどまるところを知らぬかのように怒涛の如く大波小波なのである。
 かくいう私も、我が子には目がない親馬鹿である。しかし、親馬鹿と馬鹿親は、ちがうのだ。人類の100%は馬鹿で、知能が低い馬鹿と知能が普通の馬鹿と知能が高い馬鹿の3種に分類できる、とする馬鹿の定義にもあるように、どのみち誰もが何らかの馬鹿である事実は避けられない。僅差の比較、微妙なちがいを、なんとするものか。なにをかいわんや、なのではあるがね。


 最近のブランド牛が売りのカレーについても、近江も松坂も熊野も朝霧高原も赤毛も黒毛も「牛」だろう? パッケージには素敵なお肉の写真が使われているが、こんなに良い肉、カレーに入れるかぁ? ちょっと眉唾感ありです。良い肉はステーキか生ですよね。やっぱ、カレーはカレーなんだから、馬鹿高い上等の肉使わんでよ ろしいではないかと思うのだ。その牛が何処産の牛かというよりも、牛のどこを使ったかのほうが気になるし、やっぱソースのおいしさが勝負どころだと思うんですけど、どうでしょう?

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写真:一人ひとりの人間がそれぞれ違う、この世に同じ葉っぱなど一枚もないように、僅差でも差がある。同じではない。――by 大久保謡子(おおくぼ・ようこ)

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連載エッセイ●21
分際と分別
 娘が40度の高熱を出し病院へ行った、おりしもインフルエンザが猛威を振るっており、近所の医院は娘と同様につらそうな子供と、それに寄り添う親とで混雑していた。感染症の疑いのある患者を同じ待合室に待たせるわけにもいかない医院には、個室の待合室もあるが、それも足りずに診察室内に区切られて置いてあるベットで診察の順番を待つことになった。
 横になった娘は頭痛がつらく目に涙をためて耐えている。本来ならドアに区切られて聞こえないはずの診察室での話も自然と耳に入って来るといういたしかたない状況の中で、やたらと元気な声が響いていた。「ちょっと咳が出るので一応来て見た」そうである。そして、「じゃあ一応」インフルエンザの検査をしたら、まんまとひっかかってしまった。
 その親子のそれからが凄かった。「いったい誰にうつされたのか、A君かB君か、Cの奴そういえば咳してたなあ」と聞くに堪えない実名での犯人探しが始まった。そんなに元気でもインフルエンザと分かれば出席停止と知るや「ママ〜すぐにツタヤに行ってビデオ借りてきて!」そんな息子をたしなめもせず「あら〜じゃ、ママこれから学校に行って先生にお話して来なきゃ」欠席届にわざわざ学校まで行くつもりらしいのには開いた口がふさがらない。先生は仕事中だとは思ったこともないのだろう。犯人探しに出てきた実名は全員うちの息子の同級生。カーテンかきわけて怒鳴りつけたらどれだけすっとしただろう。
 近頃話題になっているモンスター保護者は身近にいるのだ。このてのモンスターはいたってまともなつもりでPTAとかもちゃんとこなしているのだが、自宅の居間と公の場との識別がたまに出来なくなるらしく、家と外がごたまぜになっている様子を公園や通学路などでよく見かける。親の顔が見たいを通り越し、親の親の顔も見たいと思う。きっとそっくりなのだろう。


 ごたまぜ、なんでもありな世の中で、最もなんでもありな食べ物なのでは? と思われるレトルトカレーをたくさん食べてきた私である。何が入ろうと、何味だろうと、もうあまり驚かないのだが、「それとこれとの区別はしようよ、出来るんだからさ」と思いたくなるカレーのその名もハヤシカレー。ハヤシとカレーどちらも昔から日本人が大好きな、ご飯にとろりとかけて食べる物。見た目は似てるが、ちがう料理だ、まぜるなよ。と思いつつ、家庭でお母さんがやったごたまぜが、大手にかかって売られてるのかな? 時代だなあと、哲学した。

左槙子(ひだり・まきこ):どこにでもいる普通の主婦。数人の子供と一人の夫。そのほか数え切れない動物達と暮らしている……らしい。

写真:その日槙子が着ていたのがこのシャツらしい。どいつもこいつも非常識な町だとは医院のお医者の心かもしれない。――by 大久保謡子(おおくぼ・ようこ)

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連載エッセイ●20
見えない私と知らないカレー
 自動ドアが開閉するメカニズムには何通りもあるのだろうが、スイッチとなるマットを踏むとかセンサー前を横切るとか、私もちゃんとやってるはずなのにドアが開かないという経験が何度かある。中でも忘れられない思い出は、渋谷の東急ハンズ前に昔あった大きな喫茶店ルノアールでのこと。
 数人の男の人が店から出てくるのと入れ違いに、入ろうとした私をドアは見逃したらしく、私におかまいなしにガラガラと閉まってきて、大きなガラスドアに首を挟まれてしまった。首は店内、身体は店外となり、足はマットの上なので、とにかくこれを踏めば何とかなりそうと、じたばたと踏んだが大きなドアは動かなかった。入り口すぐのレジ前には丁度ボーイが立っていたが、彼ものんきな性格なのか、あまりの出来事に見とれたのか、呆然と眺めて助けようとしてくれない。そのままではなにしろ恥ずかしかったので、「はさまっちゃったのよ」と声をかけたとたん、はっと我にかえった様子で足だけ伸ばしてマットを踏んでくれた。おかげでドアは「開く」という方向に動き、何事も無かったように私は待ち合わせの席に着いたのだが、今になってあの出来事を思い出すと、ちょっとぞっとする。あの時ボーイが踏んだスイッチが「閉まる」のスイッチだったら首は切られたのかもしれないし、あの大ガラスだもの、タイミングや勢いによっても首は飛んでいたかもしれない。だだっ広いだけでおいしいコーヒーを飲ませるわけでもない店だったが、閉店して久しい今も忘れられない店なのだ。


 昔を懐かしむ企画物カレーが次々と発売されるレトルトカレーのなかで、給食のカレーというカレーを食べた。給食のカレーについては最もよく知っているだろう現役小学生と一緒に食べたところ、一口食べて「給食のカレーだ」と全員口を揃えて言ったので、そのとおりなのだろうお見事である。ここでこっそり告白すると、私が小学生時代の給食の主食はパンで、たまに焼きソバやソフト麺、献立にカレーシチューはあったが、カレーライスは実は食べたこと無いのである(年が知れるなあ)。だけどこのカレー、お昼近くに給食室から漂うあのなんともいえない「給食調理中の香り」がする。微妙に水っぽくて、それでいておいしい。食べたことなくてもたしかにこれは給食のカレーだと思わされた。知らないくせになつかしいって変だなあとは思いつつ、廊下に満ちるあの給食室の香りをまざまざとおもいだし、懐かしさにひたってしまった私だった。

左槙子(ひだり・まきこ):どこにでもいる普通の主婦。数人の子供と一人の夫。そのほか数え切れない動物達と暮らしている……らしい。

写真:見えない誰かが必ずや住んでいる。と、思われる穴、手を入れるといきなり閉まる、かもしれない。――by 大久保謡子(おおくぼ・ようこ)

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連載エッセイ●19
平等について
 近くを流れる川に沿った舗装道を行くと駅がある。通勤通学時間にはたくさんの人が自転車でその道を行く。大体が普通の人達なのだが、たまにフリフリ透け透けのお嬢様な服で太い太腿も露わに自転車をもりもりとこいで行くお嬢様みたいな人や、タイトなミニスカートスーツで太い太腿ははなから露わな上に、自転車に跨るのでパンツまで丸見えの就職活動らしいお嬢様みたいな人等も通るので、ぼんやりしてばかりもおられない。
 地域では警察から公開される保護者へ向けての不審者通報情報が、やれ露出魔だ、痴漢だ、連れ去り未遂だ、と引きもきらずに流されて、それらのすべてが男性の仕業である。私がしばしば目撃する古典に出て来る物狂い女のごとき太腿あらわに髪振り乱して自転車をこぐお姉さんなどは、どういうわけかこの地域では通報されないらしい。通学路をパンツ丸出しの男が自転車に乗っていたら恐らく通報されるだろうに、パンツ丸出しお姉さんは何で通報されないのか、時代は男女平等だの同権だのではいまだないのか? 不思議でならない。

 わが夫が家事にはなはだしく協力的なことは先に書いたが、学校から帰った娘が興奮気味に「家庭科で家の仕事調べがあって、お茶碗洗いも洗濯も風呂やトイレの掃除まで全部お父さんがやっているのはうちだけだったよ」とな。オオマイゴッド! さすがの私も青ざめた、うかつだった、彼が会社に行き彼女が学校に行っている平日の全部はいわれてみれば彼女からは見えない、見えないものは「無い」と思われても仕方ない。
 それにしてもショックだ。「ご飯しか作らない奴だ」と10年も思われていたのかと、いじけたくもなるのだが、夫の土日の家事参入に制限をかけようとは思わない。やりたいことを自由にしながら不平等を感じない、それが平等だと思う。学校の先生からなんと思われようといいじゃない、言い訳しに行く事でもないしと、また一枚、面の皮を厚くした私である。


 大きな肉や、丸ごと野菜がセールスポイントのカレーは一人で食べるのが良い。カレーの会の様に数人で分けて食べるときに、具を平等にと思うと、難しいことになる。それで喧嘩したことは一度もないが、感想を書くとき「肉どうだった?」と食べた人に聞かねばならないことはたまにある。そんな視点から、ひき肉、野菜はみじん切り、豆など入ったりするキーマカレーは平等感的に最高である。味も良いのが多いので平等とはカレーにとって良い事なのかもしれない。

左槙子(ひだり・まきこ):どこにでもいる普通の主婦。数人の子供と一人の夫。そのほか数え切れない動物達と暮らしている……らしい。

写真:平等とは固い決め事ではなく、自由自在な心でこそ成り立つもの。少年少女よ、そんなに固くてはいけない。――by 大久保謡子(おおくぼ・ようこ)

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連載エッセイ●18
黒い疑惑
 娘が学校から帰って言うことには「校長先生がカラスに頭を突かれたので赤白帽をかぶって登校してください」とのことだそうで、赤白帽とは体育時にかぶる全国的にたぶん布製のあれである。おもわず「いったいなんのおまじない?」とうなってしまった。

 頭の良い里の鳥であるカラスが人を襲うには、近くに子育て中の巣があり、子を守ろうとの母性からする場合が多いが、まれにひどいことをした特定個人を忘れずにその本人や、それに似た人を襲う場合もあると聞く。今回先生を襲ったカラスに直接聞いたわけではないので状況からの憶測になってしまうが、通学路を通行中の先生に襲いかかり、逃げる先生を4車線道路の横断歩道を渡った向こう岸まで追いかけて頭を突いた、とのことである。先生としては立場上、生徒への「赤白帽着用」という指示を出されたのであろうがどうみても、個人的にこのカラスと和解するか、陰陽師への式神返しの祈祷を依頼するのが先決で、役所へのカラス対策依頼や生徒への赤白帽着用指示など二の次だろう? と、私には思われた。そんな私独自のオカルト的視点からの見解はナンセンスだとお叱りをうけることも覚悟の上で、さる会合にてそう発言したところ「あれはリモコンカラスを誰かが操った仕業にちがいない」というもの「かつら疑惑の真相を暴く使者に違いない」等々、科学的見解からの発言が多数寄せられ、奇しくもこの地域での校長先生像が浮き彫りになった。しかもその像は私が思ってるよりはるかに黒く暗いものだったのだ。赤白帽のご利益もあったのか、生徒達にも町の人にもその後のカラス被害は無かったのは幸いであったが、襲ったカラスの動機は杳として知れることなくいまだ黒いままである。


 一体何が入っているのだろうと疑惑を持ち始めたら、きりのない色とりどりのレトルトカレーの中で、食べるたびに何度でもびっくりしてしまうのが「黒いカレー」である。こんなに黒いもの「海苔の佃煮」以来である。黒いカレーには味にも色にも慣れる事がいまだ出来ない。そもそもこれの一体どこがカレーなのか? と考え始めると、どんどん分からなくなって行く。それぞれの黒いカレーにそれはそれはいろいろな物が入っていて、黒ゴマ、ココア、黒砂糖、イカ墨、もちろんカレーなので肉や野菜も入っているが、実に不思議な食べ物である。なんでもありなレトルトカレーとは重々承知の私だが、こんなのありかい? と思ってしまうのも事実である。

左槙子(ひだり・まきこ):どこにでもいる普通の主婦。数人の子供と一人の夫。そのほか数え切れない動物達と暮らしている……らしい。

写真:この真っ黒い物を美味しそうと思う、あなたも私も日本人なのだ。――by 大久保謡子(おおくぼ・ようこ)

左槙子のカレーてんこ盛りページ:レトルトカレーを極める会食品庫エッセイに登場した名誉あるカレー様達。遊びに来てね。