連載エッセイ●40
無目的の長所
出勤前の夫がせっせと洗濯物をたたんでいる。
「出勤前の忙しいのにえらいですねえ、私は毎日家にいますのになかなか家事まで手が廻らなくて」
「今日は30分遅く出社するので時間がありますから」
「いつもありがとうございます」
という夫婦の会話を3人の子供が聞いているのを、妻・母・主婦として、なんとなくまずい気もして「さて、家事でもするか」と言ったところ、思いがけなく全員から拍手されて実に複雑な思い。私としては、干して乾いた洗濯物を自分の引出しにしまうくらい子供達が各々にやったらいいじゃない? と思うのだ。
夕方に洗濯物をとり込み、引き出しにしまう一連の作業が嫌いなわけでも出来ないのでもなく、信念を持ってしない。干しっぱなしのハンガーからシャツやパンツをとって着替える子がいても、それもよし。と思っている。
はたからは私の怠慢にみえる暮らしぶりを「なんだ。おまえ、だらしないな」とせめてくる夫であれば、これこれの信念をもち、深い愛の由に決め込んでいるずぼらですと釈明もできるのだが、わが夫のすごい(やりにくい)ところは、決して私を非難せず、わが身をさいて放置された家事を「してしまう」。当然のことながら、世間の非難は一斉に私へ向けて「ずぼらだ!」と冷たい。
娘が「お母さんみたいに早くなりたい」というのを、この子は私の素晴らしさを理解し、生きていく目標、素敵なお母さんとして認識してくれてるのだと、異様にうれしく、「どうして?」と尋ねれば、「だって、お母さん、いつもだらだらテレビ見てパソコンでゲームばっかり、時間になったらご飯作ってるだけじゃない、いいなあ」
うおぉおお。と憤ったがその通りなので黙っていたら、夫が「あんた達が学校行ってる間のお母さんの働きを見たことある?」と弁護している。私としては立つ瀬がない。だけどそんななかで、ご飯はちゃんと作ってるという点は認められている事に焦点をしぼれば、悲観する要素など皆無である。おそらく、世間からレトルトカレーばっかり家族に食べさせてると思われているに違いないのだ。
レトルトカレーを極める会は、ついに1000食を食べ超えて、まだ続けるつもりらしく、だらだらとずぼらでお気楽な主婦業もまだまだ続けるつもりらしい。もともと目的のない旅なのだ。主婦もカレーも。目的・目標があれば達成時を区切りに辞められるのに、どこまで行ってどうなるのか見当もつかない。ロマンだなぁと自惚れて、のほほんと行くんだ今日も。
写真:目的無くそこに在る物に美しさや意味を感じるのは見る側の人の感性。槙子と楽しく暮らすには感性の豊かさが重要なんですね。by 大久保謡子(おおくぼ・ようこ)

左槙子のカレーてんこ盛りページ:レトルトカレーを極める会・食品庫・エッセイに登場した名誉あるカレー様達。遊びに来てね。

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